無題









---長い髪がさらりと流れた。それはある夜の出来事だった。









もうその頃にはほとんど寄り付かなくなっていた彼の生家。
ただの戦争屋だというのに貴族然とした屋敷・・ハーレムはうらぶれた幽霊船のようだと思っている、
その実家へ帰ったのは長兄からのいつに無い強い召集を受けたからに他無かった。


彼はそこへ帰ってくると無意識のままに不機嫌な顔になる。
それでもすやすやと眠っている赤ん坊を前にした時だけはこっそりと渋面を崩した。
それはまるで彼の赤ん坊の頃を見ているようだった。


柔らかなシーツに包まれて眠る、二人の赤ん坊。
殆ど時を同じくして生まれた、マジックとルーザーの子供達。



かわいい甥子は蜂蜜のような金髪に青い瞳。
・・・そしてもう一人は、忌み子だった。ハーレムは最初言葉を失った。
そういった子供はひっそりと闇に葬り去るのが呪われた風習だったはずだ。
誰にも抱かれるはずの無い子供。
そもそも生まれるはずも無い子供。




やがて目を覚ました忌み子が柔らい手を伸ばしてハーレムを見た時。
彼はその黒い髪黒い瞳の赤ん坊に触れることが出来なかった。微笑み返してやることさえ。





結局自分はいつも、目を逸らすことしか出来ない。

叶わないものから。
どうしようもないと、嘯いて。

 












すぐに殺されると思っていた忌み子は、翌日になっても生きていた。
それどころか場の中心に挙げられてすやすやと良く眠っている。

「見てくれ、私の可愛いこの子を」

満面に幸せを張り付かせた覇者がそう言って黒い瞳を抱いていた。
マジックのその姿に、慣わしという異論を唱える者は勿論居なかった。





全くもって虫唾が走る後景だ、とハーレムは一人ベランダで煙草に火を点ける。
全員が一つの秘密を口に出さずに共有している。あれは生まれるべきではない子供だ。

そして今は悲しむべき時だ。
ハーレムは甥子の出生祝いに呼び出されたのではなかった。
一面に黒い色。今日はルーザーの妻の葬式だった。



弔いの鐘が鳴っている。
彼はベランダから出棺して行く長い行列を見下ろした。形ばかりの参列に加わる気にはなれなかった。
そして思う。参列者は皆、あの儚く物静かだったルーザーの妻の遺体と一緒に何かを埋めてくるのだろう、と。
 
口に出せない秘密。
終わることの無い罪。

そんな何かを。




ハーレムは紫煙を吐き出しながらふと目を留めた。
弔いの列から少し外れたところにサービスの姿を見つけたのだ。
右目の痛々しい包帯を取った弟を見るのは初めてだった。
今は包帯の代わりにその傷跡を長い金髪で覆うように隠している。


・・足取りが、危うい。
ハーレムはサービスから目を離せなくなった。
なぜマジックはあんな状態の弟を外へ出すことを許したのか。
こんなに冷たい風が吹いているのに。すぐ横にはうっそうと茂る森があるのに。



---サービスはまだ寝ていなければならない。

彼は思った。

---そして寝室には鍵を掛けなければ。









よろめいたサービスに寄り添うように手を貸す男が見える。黒髪の男。ルーザーの部下。
サービスの士官学校時代のクラスメイト。
サービスは甘えるようにその男に縋って歩いて行く。



吐き気がした。












形ばかりの葬式は陽の暮れる前には滞りなく済んだ。
マジックは自らホストを務めて、今夜も集まった参列者に息子を披露している。
兄は王として、新しい恐怖政治を牽いたのだ。
この黒髪の忌み子を一族の王子に据えることを宣言して。


ハーレムはとてもその場には居られなかった。


結局この家に彼の居場所はとうに無いのだ。
彼には戦場が、場末の酒場が、そして後腐れ無い商売女の腕の中が住処だった。
少なくともハーレムはそう思っていた。







ベランダに出て煙草を吸う。息詰まる実家。辛気臭い空気。
明日には戦場に帰ろう。この家には触れられないものが多すぎる。

ハーレムはそっと弟のことを思った。
傷ついたサービスのことを。可哀想なことをしたと思った。
愛していたルーザーを失って。

友人を失った、と言って自分の顔を傷付けて。
可哀想なことをした。




サービスは知らなかったのだ。人が死ぬと言うことを。明日の約束が突然破られるということを。
けれどもうこれ以上は傷つかぬように生きられるだろう。
この家でゆっくりと休めば良い。
マジックは以前にも増して、あの可哀想な末弟のことを甘やかすだろう。

綺麗な服を着て、綺麗な宝石を付けて、欲しいものならば何でも。
サービスの望みは全て叶えられる。そして忘れてしまえ。

友情は取替えがきく。戦場で死んだ男でなければいけないものなど何もない。
サービス。
死んだ男が特別だったなんて、そんなこと言うな。












煙草はすぐに燃え尽きた。ハーレムは二本目を咥えようとして眉をひそめる。
暗い庭を横切る影を目の端に捕らえたのだ。
闇に泳ぐ金髪。あれは、



「サービス!!!」



ハーレムはベランダから大声で怒鳴った。


「何処へ行く気だ!!」


闇に潜むように足早に歩いていた人影が大声に身を竦ませて振り返る。やはりサービスだった。
顔半分を覆った金髪が浮かび上がるように闇を弾く。


「何処へ行くんだ!?」


もう一度怒鳴るとサービスは大きく首を振って見せた。屋敷内の誰かに見つかることを恐れているようだった。


「そこに居ろ!!兄貴にばれたくなければ!!」


ハーレムはそう叫んだ。そして風のような身のこなしでベランダを飛び出していった。












ハーレムが誰からも見付からぬように裏庭に出た時には、もうサービスの姿は何処にも無かった。
彼は舌打ちをして更に走った。森を抜ける小道を行けば裏門へ繋がる道路へ出るはずだった。
この馬鹿みたいに広大な彼らの屋敷は、しかしハーレムとサービスにとっては慣れ親しんだ庭だった。
幼い頃は真っ暗な小道を駆け抜けて兄の帰りを待った庭だ。
はしゃぎ、笑い合いながら。





「・・・サービス!!」
 
道路に出るほんの手前で、ハーレムはサービスの腕を捕まえた。
サービスは強い力に驚いた様子も無く、ただ静かにハーレムを見上げた。

「逃げるなって言ったのに、この野郎!」
 



月明かりも殆ど差し込まない森の中だった。
しかし夜目に慣れた彼には、サービスの大きな鞄と喪服のままの姿がはっきりと見えた。



「・・何処へ行く?」

彼の問いに、サービスはただ黙って首を振った。

「・・誰と、行く?」

ゆっくりと、薄い唇が笑みの形に動く。

そのちっとも似ていないのに不思議と同じ顔を、ハーレムは絶望しながら見ていた。


サービスが片目を失い、そしてルーザーをも喪った時に、既に彼ら双子は決別していたのだ。
もう相手が何を考えているのかも分からぬ程に。


お前はこの家に居てくれ、と心中何度も繰り返した哀願はやはり言葉にすることが出来なかった。
本当は分かっていたのだ。


サービス、お前もうここには居られないと思ってる。
その目を捨てるほど、ここには居られないのだと。



何処に居てもぴたりと同じ温度であった身体は、今や完全に他人同士となって向かい合っている。


でも、それでも。
ここに居られないというなら、一族の呪縛から逃れたいというのなら。



「オレじゃ駄目なのか?・・オレが行ってやる。守ってやる。抱いてやる・・・・オレじゃ、駄目なのか?」



泣くつもりは無かった。しかしサービスの残された瞳から涙が一筋流れた時に悟った。
それは、ハーレムが流している涙と同じものだ。


ハーレムの涙は、サービスから流れる。
サービスの涙は、ハーレムから流れる。



ハーレムは全ての涙を独り占めしたかった。代わりに全ての幸福を、サービスに。




神は居ない。
その願いは永遠に叶わない。今日、埋葬の煙に乗ってこの空をたゆたうもの。


今まで一言も発しなかった弟が、ゆっくりと口を開いた。




「・・お前とは、行けないよ」
  

  
何故。



「お前を連れては、行けないよ。この道行きは僕だけの罪だ」



生まれた時から同じ生き物。この世にたったひとつの。



「お前と行っても、お前を救いたくなってしまうもの」
 



---長い髪がさらりと流れた。それはある夜の出来事だった。




「愛していたよ、ハーレム。息をするのと同じくらい自然に」
     



---長い髪がさらりと流れた。それはある夜の出来事だった。






「だから、お前とは、行けない」
 







弔いの鐘が鳴っている。




     








「さようなら、ハーレム」
 



















その夜、ハーレムは声を上げて泣いた。

その涙が、サービスのものか己のものか、彼には分からなかった。   
  




  















04/2/14
05/8/14加筆