大木の根に頭を乗せて、背を丸めて眠っている男を見つけたのは偶然だった。


ここはシンタローが常に身を置いている戦場ではなかったので、特別気配を消しているわけではない。
にも拘 らず蹴り飛ばせるほどに近付いても目を覚ます気配の無い「部下」。
シンタローは苛立ち紛れに眠りこけている間抜けな「部下」の腹を蹴ってみた。

「・・・・ぐぁッ!!」

弛緩していた背中を大木にしとどに打ち付けて男が呻いた。

「・・・・・シ、シンタロはん・・?」
焦点の合わない、黒目ばかり大きい瞳がシンタローを見上げる。
「な、なんでんの・・突然。」
「てめぇこそ!何余裕こいて寝てやがる。ナンバー2だろ?戦場だったらとっくに死んでんぞ。」


「・・・・・・・・・・・・。」

「んだよ。」
黒い瞳にぎょろりと見上げられる。生意気だな、と睨み返してやる。

「ま、座りぃ。」





アラシヤマは倒れこんだまま手探りでクッションを差し出して、その上をポンポン、と叩いて見せた。
「みんな寝てしもうて暇やったんですやろ?」
起き上がったアラシヤマに生意気にも言い当てられたが、事実暇を持て余していたシンタローは黙ってそのクッションに腰を下ろす。
想像したくは無いが、この縁にびらびらレースのあしらわれた代物はアラシヤマが縫ったも のなのだろうか。

「・・・お茶。特戦の、あぁ元、どしたな。リキッドはんに貰たんえ。」
そうして差し出された茶を無言で受け取る。こいつから他人の名前が出るなんて珍しいと思いながら。
「・・・お口に合いましたやろか?」
「おめぇが淹れたんじゃなければな。」
嫌味を言ってやったのに、アラシヤマはほんの少し俯いてから、嬉しそうに微笑んだ。
「さっき、忍者はんが来ましたんぇ。」
話し掛けられても、シンタローは別に答えない。アラシヤマに対してはいつもこんな調子だ。
彼も心得たものでそっとシンタローの顔色を伺ってから言葉を続ける。
「離れた所からジ・・ッと様子を伺って、暫くしたら居なくなってしもうたんやけど。」

ふーん。とそれくらいのリアクションを起こすのがせいぜいの会話が終了した。
この引き篭もりは口下手だった。何だか妄想めいたことや、仕事上では機関銃のように話すのに。
「普通」の会話となると全く続かない。


「せやけど今日は、・・・・んふふふふ・・・。」


正座した膝に話しかけるような前のめりの姿勢で、突然アラシヤマが不気味に笑い出す。
背中から薄ら寒いものが込み上げる。
・・・こいつから差し出された茶を本当に飲んで大丈夫だっただろうか。
変な茸の胞子でも混入しているんじゃないだろうか。

「なぁ・・・シンタロはん、お風呂入ります?それともお腹減っとりますやろか?」

「あ?」


 またも唐突に話が飛んだ。


「・・・・・・・・んふ!新婚はんみたいや!」
「んあ!?」


とうとう心友から婚姻にまで妄想が悪化してしまったのか。
アラシヤマは不気味に頬を染めていた。頭を殴りすぎたのだろうか。それともこの暑さで。
いやこいつが変なのは元々だ。 シンタローは取りあえず気色が悪いので後ずさってみた。
幾ら暇だったからと言って、ここに留まってしまった己の愚行を思い切り後悔し始めていた。


「厭やわぁ!シンタロはん。男同士やもん結婚なんて出来ひんわぁ。」
人差し指でツン、と鳥肌の立つ肩を突かれた。殺しても良いだろうかこの根暗。
「心友同士がするんはルームシェアでっせ。わて、毎日掃除して美味しいものこしらえ・・・・がッ!」
最後まで言わせず、拳をめり込ませる。ド頭に。刺激を与えれば少しは正常になるかもしれない。


「結婚は女とする、スタイルの良いロングヘアの美人とする。てめぇとは住まねぇ、絶対に住まねぇ。」

要するにてめぇとは正反対の女とだ。一息にそう言った。
アラシヤマは無様に殴られてひっくり返っていた。
そういう所が苛々するのだ。避けられるのに。

いざこれが実戦であったなら絶対に倒れたりしないだろう。
アラシヤマは仰向けに寝転んだままシンタローの顔をじっと見詰めてきた。
真っ黒な二つの夜の瞳。昼間は隠されている片側の瞳。

昔、他人と居る時にはその髪で隠した方の瞳で相手を見るのだと言っていた・・・
「何それ見えねぇじゃん」そう言うと、


「そうどす。わて人見知りが激しいさかい、ぼんやり見とるんどす。はっきり見えたら怖くなってまう。」



白状したアラシヤマは何だか寒そうに肩を竦めていた。
そんな彼を見ていたら胃の辺りがズンと重くなった。
もしかしたらその時はアラシヤマを慰めてやりたいと思ってしまったのかもしれない。
しかしそれは気の迷いと言 うか、シンタローの中で無視できるくらいのちょっとした衝動でしかなかった。
結局シンタローは「何それ」とも う一度言ったのだった。







実際、アラシヤマの両眼をきちんと見たのは、彼と出会って随分と過ってからだった。
それまではシンタローも彼の中で輪郭のぼやけたその他大勢だったのだろう。
アラシヤマが案外に美しい顔をしていることを知ったのも随分と経ってからだった。
シンタローもまた、暗い憎悪を剥き出しにする仲間外れの同級生を直視してはいなかったのだ。






「・・・わて、髪伸ばします。」
「許さねぇ。今坊主にしてやろうか。」


 いっそどっかの山奥ででも出家しちまえ、と言いかけて、止めた。
毎日毎日、読経のようにシンタローの名を呼ぶ若坊主を想像したら恐怖映画のようだったからだ。
大体この上神仏の御力まで得てしまったとしたらアラシヤマの妄想は何処まで逝くと言うのだろうか。


「・・・・帰って、寝るわ。」  

疲れた。シンタローはそう言って突然もと来た山道を下って行った。
シンタローはぁん、と呼ぶ声は、何だか寝床へ戻ってからも耳を離れなかった。
アラシヤマは、とっくに黒魔術でも習得しているのかも知れない。                                     









04/4/25