彷徨い出る夏の亡霊











私は中国の広大な大陸の乾いた大地に生まれ、六つの頃まで其処に居た。
私の家族は貧しく、近隣も貧しく、私は十才になるまで富というものを知らなかった。




私が炎憑きの子供だと知った時、両親は恐らくその幸福を噛み締めたに違いない。
私は親の顔も、裸馬の様に居た兄弟達の顔も思えてはいないがそう思う。

貧困に喘ぐ両親によって、すぐに私は見世物小屋へ売りに出されることになる。
その毛色の違いが功を奏して、しばらくすると買い手が付いた。

そうしてやって来た小さな見世物小屋。
買い上げた男が、膝の擦れたケバケバしい燕尾服で私を檻に入れた。
その檻から出される時は足に縄を掛けられ、傾いだテントの中で鞭を打たれた。
 
安い金を払った客の好奇心を満足させる為に私は炎を出す。
鞭の痛みや、突立てられる釘の痛みをスイッチにして。
動物と同じで私には言語を解する知能は無かった。

無いとされている中で、己の知能を知る機会などあるはずもない。
疑いも不満も無かった。
私の前にはただ現実が横たわっているだけ。


客前で炎を出すと、私を縛る縄が焼け落ちる。
全く拘束の意味を持たない縄をそれでも毎日掛けられた。

「いつかこいつで金を貯めて鎖を買わねば」
そう言っていた燕尾服の男の顔を、私は覚えていない。




その見世物小屋は一年も居なかった。
 




なぜ私が見世物小屋を追われたかと言うと、単にもっと高い値段で買い上げられたからだ。


何処へ連れて行かれるのか興味も無かったが、
行った先も傾いたテントが大きくなっただけのサーカスで、私に与えられたのも変わらず見世物としての炎だった。
違ったのは、鞭も釘も使われなかったことだ。
しかし私は痛みが無いと炎を出せなくなっていたから、結局は客から見えない様に背中を打たれた。
見世物小屋で鞭打たれている間に、炎と痛みとを直結して結んでしまっていたのだった。
 
そして、そのサーカス団には副業があった。
私も買われて直ぐにその副業にも就くこととなる。


サーカス小屋の荷物置き場で、近くの安宿で、時には雑木林で、私は性の奉仕をした。
痛みが招く炎のお陰で、身の内に客を受けることの出来ない私は、手を口を使って文字通り奉仕した。
望まれれば、何でもした。
羞恥、屈辱、精神的な痛みには反応しない炎の為に、私は断ることが出来なかった。
断るということを知らなかった。
 




私は、人ではなかった。





結局そのサーカス団には二年居た。九つになる前に私はまた買われて行った。
それまでの生活で蝕まれていた様々な病理、怪我を治療され、適性審査を受けた。
私は読み書きが出来なかったので、用意された半分の審査は意味を持たなかった。
しかし私は「合格」することとなる。偏にこの炎憑きの性質のお陰だ。



 私が連れて行かれた先は、「ガンマ団」
そう、初めて「富」を見たのはこの時だった。私は十才に成っていた。










この話に脚色を加え匿名性を持たせて、幼い弟子に聞かせたことがある。
寝物語をせがんだ弟子の甘ったるい表情が、凍り、恐怖に慄く様を私は滑稽だと思いながら楽しんだ。
全く馬鹿な弟子だった。

翌朝、うなされて布団に阻喪した弟子を私は思い切り蹴り上げた。



そして数年後、私に組み敷かれながら「あの話、お師匠はんの事でっしゃろ・・?」と尋ねる
弟子にこう答えてやった。

「何の事だ?」
 
 





ともすれば全て嘘の話。
 
私は山奥の木の根から生まれてきた。
或いは路傍の石から。


私は両親の顔を覚えていない。裸馬ように沢山の兄弟の顔を覚えていない。
私を打った燕尾服の男の顔を覚えていない。私を犯した客達の顔を覚えていない。





覚えているのは、この手から生まれた炎。
ともすれば、それも嘘の話。











06/1/9 加筆修正