寂しい街のあわいに立つ。
ここから見下ろす景色のすべてを、私はひとつの色に染める。




笑いながら。
 







 

私にはそれまで友人という者は居なかった。

親しく、同等に付き合う相手を得たことが無かった。
誰も彼もが私の中に流れる血筋を畏怖し、蔑み、遠ざけていたように思う。
しかしそれを哀しいとも寂しいとも、考え至ったことは無かった。
それは偏に私の家族に起因するものであると私は思う。

高く厚く頑強な壁の中で、私は育った。至上の愛情と共に。

両親が亡くなってからは、兄達が私の為の壁をより強固に守ってくれた。
私は愛されていた。









私は、愛されていた。










カナリヤ










 「・・・・サービスってば、もう喰わねえの?」
驚くほど近くに鳶色の瞳を見つけて、持っていたサンドウィッチを思わず落としそうになった。
「具合悪いのか?高松を呼んで来ようか?」
草原の上に寝そべった少年が、案じるように私を見ている。
「あいつに診てもらったら余計に具合を悪くしてしまうよ。」
そう言って私が笑ったので、目の前の鳶色の瞳が柔らかく和んだ。
私は意識してもう一度笑みの形に唇を動かした後、さり気無く食べかけのサンドウィッチをバスケットへと仕舞う。


「・・・なぁ、ジャン。来年はとうとう卒業だな。」
私が今日一日塞ぎこんでいた理由を得たジャンは、起き上がると諭すように口を開く。
「まだ一年もあるよ。卒業する前にお前と旅行へ行くし、来月は映画を見に行く約束だってあるだろ。
明日だって呑み会を巻いて二人で抜け出しちまおうって話してたばかりだろ・・・・まだまだ先の話だよ。」

気鬱な私を励まそうとする明るい声を、長い髪をかき上げながら聞いた。
そっけなく映ればいいと思った。私の詰まらない感傷など、気付かなければいいと。


「寂しいこと言うなよ、サービス。卒業したって、同じ職場だよ。お前の往く所にオレも往くんだから。」
ジャンは不意に私の手をぎゅっと握り締めて、真剣な声音で言った。


「お前の傍に、ずっと居るよ。」


そのまま私はジャンに抱き締められた。
ドク、ドク・・と力強く心臓の音が聞こえる。ジャンの脈動。そして私の跳ね上がった動悸。

「・・・傍に、居させてくれるだろう・・?」
左肩から聞こえる、ジャンの小さな声。
心細そうに、微かに震えている。

不器用な私を、人形のような私を、壁の向こうへと連れて行ってくれる熱。

頷く以外に、何が出来ただろう。













 その日の深夜、トイレから出た私を待ち構えるように双子の兄が廊下に立っていた。
「・・・・・・・吐いたのか。」
怒りを帯びた彼の声に酒気を感じた私は、無視をして廊下を歩き出した。
大体ここは私に与えられた部屋の一角で、このトイレも隣のバスも私一人のものだ。
私の許しを得ないまま勝手に進入して来た双子の兄に怒りを覚える。

ハーレムはいつもそうだった。
無自覚に放蕩を続け、気紛れに帰ってきたかと思えば私の生活を強引に引き裂いてゆく。
私はそんな兄に苛立ちを禁じえない。



「・・・・・また吐いたのかって聞いてる。」
そして片割れの行動が気に入らないのはお互い様のようで、ハーレムはいつも険しく私に接した。

「お前には、関係ないだろう。夜中に勝手に忍び込むような真似はしないでくれって何度言ったら判るんだ。」

「・・・・質問に答えろ、サービス。吐いたんだろう?」

「・・・・・・。」

私は取り合わないことに無言の抗議の意味を込めて寝室へ向かう。
実際嘔吐したばかりの身体はだるく、立ったままハーレムと言い合う余力は無かったのだ。


「・・・付いて来ないでくれ。」
寝室のドアを素早く閉めてしまおうとしたが、それより早くハーレムが乱暴な強さでノブに手を掛けてそれを阻止する。
忌々しい。私はもう取り繕うこともなく、振り返り無作法者を睨み付けた。
舌打ちをしてやっても構わないくらいに苛立っていた。



その、瞬間。ぐらりと世界が傾いた。
・・そして私はよろめいた身体をハーレムに支えられたことを知る。


胃がムカムカと収縮する。
ハーレムの手は暑苦しく無遠慮であると記憶していたのに、それが以外にも気遣わしげに添えられたことに、
なぜか強い苛立ちを覚えた。


「・・・・・・放せ。」
誰にも見せない私の隠された粗暴さを持って、兄を睨み付ける。
そっくり同じ資質を受け継いだのだ、私とハーレムは。
彼の弱さも、私の移ろいやすさも、互いの不破も、そのまま行き交う。

だからこそ、耐えられない。そう根を上げる精神すら明け透けに伝わり合う。


「・・・・は、なせ・・・!」

ハーレムは身体を支えられなくなった私をドアに押し付けるように立たせ、胃の辺りに手を押し付けてきた。
今度は押し付けがましい、いつものハーレムの手だった。



「・・・・・・・・サービス。」
ハーレムが私の名を呼んだ。それは昔から特別な響きを持っていた。
己の名を呼ぶような。己が己に呼びかけているような。
身体の中から聞こえるような。
それは私達が双子だからかも知れない。
他の兄に呼ばれても、ジャンに呼ばれてもこうは響かない。
その昔、確かにひとつであったことを思い出させる、声。



私は手を置かれている所から溶け出して、ひとつに混ざり合うような錯覚を覚えた。







---月明かりも差し込まぬ、暗い部屋。同じ生き物が呼応している。







ハーレムの唇が苦しそうに歪んだ。私の身体の不調に同調したのか、と私は思った。


だが、違った。


ハーレムが何も言わず、私を措いて去ってゆく背中に私は感じた。



---私の中の不純の種を、ハーレムは見つけたのだ。

もう決して彼とひとつには戻れぬ、私に芽生えた苗木。

     



黒髪に魅入られた私は、もう幼い頃のように純粋な彼と混ざり合えはしないのだ。
私はそれを悲しみと共に、誇らしく悟った。













 

十七の早春の出来事だと、記憶している。
まだ夜の明けぬ、これから枝を伸ばす、すべての物語の序章だった。











                            04/2/11